ちょっとおもろいもんを見かけた。
ので、ちょっと首突っ込んでみる。

過日の芥川賞、最近その書評が公開されたそうなんだが。
落選した作家がブチキレてる。台湾生まれ、両親は台湾語と中国語が混ざった言葉を使っていたとのこと。テーマは『母語』だとか。

選考委員にこう書かれた。

『これは、当事者たちには深刻なアイデンティティーと向き合うテーマかもしれないが、日本人の読み手にとっては対岸の火事であって、同調しにくい。なるほど、そういう問題も起こるのであろうという程度で、他人事を延々と読まされて退屈だった』

これにキレてる。
最初に選評を見たとき
「うーん……対岸の火事まで言っちまうのはどうなのかとして、他人事を読むのが退屈だったってんなら、小説なぞ全部他人事なんだから、きっと面白くなかったんだろう」
と思ったおぢさん。
で、簡略化した各審査員書評略式まとめ。

宮本輝「日本人の読み手にとっては同調しにくい。他人事を延々と読まされて退屈だった」
山田詠美「何しろ長過ぎる。前半は料理以前の原材料という感じ」

吉田修一「小説としての良い意味での余白がほしい」

小川洋子「留学生活の会話の中で提起されると、どうしても薄く軽くなる。切実な物語が用意されれば、もっと強いテーマとして浮かび上がるはずだ」

堀江敏幸「やや説明的になった部分も散見された」

川上弘美「好感が、感慨や動揺や連想にまで広がってゆかなかった」

島田雅彦「自らが拠って立つ足場の確認を繰り返し行うことに、この作者はそろそろ飽きなければならない」


あ、はい、つまり未熟だったんですな。了解。
ツイで本人の書き込みに「人種差別だ」とかリプしてる人もいるそうなんだが、ちょっと調べれば状況が見えるじゃないか。

いやね、怒りが収まらんって気持ちは判りますよおぢさんもね。
編集長にボッコボコに書かれたからな、批評。
ただ、この人と俺の違いは、俺は入賞してたってことで。
落ちてボコられるなら判る。入賞してボコられる意味は不明。
「んなもん即刻辞退してやるわああぁ!!」とマジギレしてたら、ダチに「そこは耐えろ、デビューがパアになる!」とマジで止められますた。

落ちたんだから、何言われてもある程度はしゃーねえわ。
読み手を引き込めなかった、その一点において作家の負け。
実際、選考委員だって人間だから、好き嫌いはあるんだろうしな。
むしろ落選を逆手にとって書くくらいでなきゃダメだ。
『大いなる助走』について、筒井康隆は「これは私怨ではないのか?」と問われ「私怨でない小説があるか」と、超開き直り。直木賞に3度落選したのが原動力だったからなw
いっそ私怨小説書いてみろと思う。何か見えるものもあるかもしれん。
発表するしないはべつとして、書いてみるのは良いだろうな。
Twitterに文句なんぞブチまけてねえでよ。
作家は何でも作品にしてナンボ、そーゆう生き物じゃねえのか?
見苦しいんだよ、ツイで泣き言なんぞ。
怒る方向が間違ってる。
島田はお前のノミネート作を全否定しているぞ。こっちの方が酷い。



純文学は『アート』なんだよな。文芸だから。文章芸術。
アートつうのがよく判らん俺にとって、純文の何たるやは、さらによく判らん。
俺にとって、もっとも判りにくいジャンルの芸術なんじゃねえかな。
上記のダチと
「銀英伝なんてキャラ小説でしょ、つまり」(いわゆるライトノベルの先駆けらしい)
「キャラが出来てない小説ってあんの?」
「………………」
くらいですよ。
まぁアレだ、要するにキャラだけで読ませる、地の文が浅い作品ってことなんだろうなと解釈している。
エンターティンメントは面白くてナンボだ。芸術的な表現なぞライトノベルに求めている奴はいない。
ただ、エンターティンメント作品に極めて芸術的な筆力があったとしても、面白ければ誰も「これは文芸作品であってカテゴリが違う」とか妄言こかない訳だ。
多分、芥川・直木ダブル受賞だろーな。

「アタシもアートって判らないのー」
って人に、どうすりゃわかりやすく説明出来んのか、おぢさんは悩んでみた。
自分が何となく理解した方法を書いてみよう。

世界中数多の画家が星の数ほど人物画を描いてきた。
が、そのほとんどは埋もれてしまい、人目に触れているのはごく一部。
それはピカソであったり、シャガールであったり、フェルメールであったり、ゴッホであったり、ルノアールであったり、ダ・ヴィンチであったり、人が手書きで書き出していける程度の人数といえる。
それらが何故残っているのか。そこにある『独創性』ゆえだと思うのだ。何かが、どこかが他の画家とかけ離れて違うのだ。人を惹き付けるのだ。
正直、俺はピカソの何がどう良いのか判らん。ゲルニカは観てみたいと思うのだが。

時間も文化も乗り越えちまい、変わることなく続くものを『普遍性』とかいう。
芸術には独創性と普遍性が求められる、ということか。
その場限りもてはやされて廃れるなら、時間の重みに耐えられなかった。
独創性がないまま普遍を求めても凡庸にしかならない。

ともあれ『余人をもって代えがたい』ものであるらしいことは判る。
つまり文芸においても『余人をもって代えがたい』筆力が求められている。
主題は何でも良い。妻がトイレから1か月も出てこないとか(地元紙の文学賞で受賞してた)、目が覚めたら虫になってたでも良い。ひたすら絶望してても良いし(書いてるってことは絶望してないんだな)、哲学を判りやすくパロっても良い。
だが、芸術でなくちゃならん。
「長すぎ」と言われたら、敗北に等しい。長さを感じさせてしまった。時間を忘れさせるほどでなくては芸術とは呼べんのである。

極論だけどな。

あとひとつ、すげー気になったのが
「自らが拠って立つ足場の確認を繰り返し行うことに、この作者はそろそろ飽きなければならない」
てとこね。
足場の確認、何度やっても結構。もうね、好きなだけ、いくらでも書いてくれ。
それが主題なら、納得するまで書ききるっきゃねえでしょ。
創作屋ってのは、自分の中に揺るぎない(とも言い切れないが)主題を秘めている。
手を変え品を変え、作家は同じテーマを創り続ける。
しつこいよお前、と思われてる時点で惨敗なのよ。飽きさせてんだから。
俺なんか自分の駄作4冊読み返したらキャラ設定と構成のパターンが同じことに気付いて死ぬほどワロタ。
ああ、こーゆうことか、と。意識的であれ無意識的であれ、自分の中にそーゆうのがあるんだわ。
「これしか思いつかない」んでなく「そうか、これが描きたいのか」って。
あー、原体験ですねえ〜って、案外単純なのね、おぢさん。



結局「ダメだった」。そこに尽きる。
辛い批評も、もう、ああ言う以外に言いようがねえって言葉だ。作家は言葉の選び方に容赦ねえから。他人に伝えなきゃならんからさ。まして自覚が薄いかもしれねえんじゃ、爪痕ザックリ残すくらいでねえと。
伝わらん言葉ほど無意味なもんはねえ(相手があほなら完全に無意味)。
言われた方はそりゃもう怒髪天だろうけどさ、受け止める方向を間違わんように。
対岸の火事だと思われた自分の負けなんだから。
ちょーっと文学とは呼べないなぁ〜、ってお話だから。
ノンフィクションでなく文芸を選んだのなら、文芸として表現すべし。



ま、こんなカンジ。
この雑文に責任はいっさい持たんよ、そこまで誠実じゃーない。病んだ元?エロ作家の独り言だ。

「転ばされて泣いてる暇があったら立ち上がって走り出せ、それが創作屋だ」
てことでつね。
リーマンだって何だってそーじゃん、座り込んでたら前に行けん。
まして創作屋なら、なおのこと。

あー、ダラダラ長すぎ。人のこと言えねえwww
だが俺は「600円以内に収めたいので7P削って下さい」と、版元の事情で言われただけだからな!




カテ違いなんでブログ村のリンクはない。